発展のためのアドバイス集《44》

知らない事は罪①

先日、《36》でご紹介した矢島実先生(※相互扶助会員)からメルマガが届きました。
とても良い話だったのでご紹介いたします。(※「運が良くなる!アクアタイムズ 第221号」より抜粋)



皆さん、こんにちは。アクア鍼灸整骨院代表の矢島実です。
今日は、私の好きな『致知』に出ていた、作家の西村滋さんが、震災孤児に語りかけたお話をご紹介しますね。
西村滋さんは、愛知県名古屋市生まれ。
1952年処女作『青春廃業』を発表。
1975年『雨にも負けて風にも負けて』で第二回日本ノンフィクション賞。



少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は、近所の物笑いの種になるほどだった。
その母が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ、そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。


近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。
しかし母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びた。
コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。


少年は次第に母を憎悪するようになった。
悲しみに彩られた憎悪だった。


少年6歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい決して柩の中を見ようとはしなかった。


父は再婚した。
少年は新しい母に愛されようとした。だが、だめだった。
父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。


少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。
そのころから少年の家出が始まる…13歳の時だった。
少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に柩の中の母を見せようとした、あの家政婦のオバサンだった。


オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。



私はまもなく死にます。


あの子は母を失うのです。


幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。


憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。


あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、


死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。


そうした方があの子は幸せになれるのです…



少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。


涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。



西村滋さんは、6歳で母と、9歳で父と死別し孤児となり、以後放浪生活をしました。
人は、真相を知らずに、人を嫌ったり、批判してしまったりします。
けれど、その人の背後にある「想い」や「優しさ」に触れたとき、人を許すことができるのだと思います。


人それぞれ、どんな事情があれ、苦労して生んだ自分の子どもを愛していない親など、いないのではないでしょうか?


私も小さい頃は、どうしようもない札付きでした。
けれど、そんな私を常に導いてくれたのは、私を信じてくれた人でした。
それは、母や中学校の先生でした。


きっと、誰にでもそういう人がいるのだと思います。
そして、誰にとっても、「そういう人」になってあげられたら良いな~と思います。


自分が苦しんだ経験は、人への優しさに変わるのかも知れませんね。
さあ、今週も元気出していきましょう!!
今日も読んで頂き、本当にありがとうございます。



感謝



(※「運が良くなる!アクアタイムズ 第221号」より)


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