発展のためのアドバイス集《33》

前回、『病気の原因を探ると、その根本的に見えてくるのは、全て自分自身の“心のありかた”に辿り着く』…と述べました。
では、その“心”とは一体何でしょう。


みんな同じ“心“を持っている

よく「己を知れ」とか、「自分のことは誰よりもよく知っている」とか言いますが、実は自分のことが一番知らない存在なのが人間だと思うのです。
「あなたが欲しいものは何ですか?」と、何度も繰り返し質問されるのと同じように(※30参照)、「あなたはいったい誰なんですか?」と何度も聞かれて一番最初に答えるのが名前だと思います。
しかし、質問者からは「いや、君が○○さんであることは知っている。それ以外にあなたは誰ですか?」と、また同じ質問を何回も受けた場合、あなたならどう答えるでしょう。
例えば私なら、『男です、人間です、53歳、女房一人と子供二人の親父、会社の社長…』くらいしか浮かばず、せいぜい10個くらい言えれば良いほうだと思います。
しかしそれらを書いて、じっと眺めると、『なに?俺ってこれだけの存在だったの?』ってことになるかと思います。
また別な聞き方をすれば、『あなたから、名前(名刺)、肩書き、経歴、人との関係、財産、実績を引くと何が残りますか?』と質問された場合、ほとんどの方は考え込んでしまって、何も答えられないでしょう。
でも本当はそんなちっぽけな存在ではないのですね。
神は自分に似せて人間を作ったといいます。
その大きな一つが「自由な意思」です。
例えば、お月様を思い浮かべれば、意識は簡単にお月様に行けるし、宇宙を思い浮かべれば宇宙だって行けます。“心のありかた”次第でどこにだって行けるし、自分自身も自由に変えられる能力を誰もが持っていると思うのです。
このことをある偉いお坊さんに話しましたら、こんなことを教えてくれました。
「この言葉にならないものが本当の自分自身の魂(心)であり、今生きている自分の存在意義なんですよ。死んだ時には更に《肉体》が引かれて、閻魔大王がこれを見て判断するんですよ(笑)…」と。
つまり、ほとんどの方はこの「自分」という存在を、単なる「肉体=モノ」として見ているのですね。
自分をモノとして見てしまうと、何も残らなくなるのです。
けれども、『ただ言葉にならないだけで、何か大切なものを忘れているような気がしませんか?』と聞くと、皆、目に見えない“心”を持っていることに気がつきます。
誰でも嫌なことをされれば嫌だと思うし、親切にされれば良い気分になります。
人を傷つければずっと沈んだ気分になるし、喜んでもらえればこちらも喜びます。
こういった喜怒哀楽を含め、万国共通、みんな“同じ心”や“同じ感じ方”を持っていることになります。
そう考えると、自分と他人とを分けているのは、目に見える肉体に付属する名前や肩書きや容姿くらいなものであって、実は同じ心を持っている者同士ばかりなんだな…と思うと、他人との比較による幸・不幸や偏見、思い込み、差別がなくなり、人間関係で悩んだり、見栄を張ったり、変なプライド意識もなくなって、心からの付き合いができるようになると思います。

『気配り』と『心配り』

以前、『目に見えるものは与えたり使ったりすれば減って行くが、目に見えないものはどんどん増幅する』と述べました(※27参照)。
すると“心”は目に見えませんから、使えば使うほど、人に配れば配るほど増えていくことになります。
半年前のある日のこと、JES主催の懇親会で嬉しいことがありました。
中野に“ひだまり農園”という有機野菜中心の料理を出す居酒屋レストランができたことを知り、懇親会場はそこに決めました。
30席程度の小さなレストランですが、料理のおいしさは勿論のこと、スタッフ及び店長のこだわりと、心からの暖かいもてなしに、出席された皆さんはとても充実した楽しいひと時を過ごすことができました。
しかし、帰りに誰かが大きな旅行バッグを忘れたままホテルに向かったことに私が気が付きました。
するとお店のスタッフが、「まだ間に合うかもしれない!」と、雨の中を傘もささずに一目散に走り出したのです。
しかも、キャリーバックが濡れないよう脇に抱えて。
タクシーに乗り込む寸前に声をかけて無事、持ち主にバッグを渡すことができましたが、なんと忘れたのは当社の社員でした(笑)…きっと皆さんの接待で神経を使ったのでしょう(?)。
しかも翌朝、私は会社のパソコンを起動したら、その店の店長から1通のメールが届いてました。
お礼の手紙でした。
「こんばんは。ひだまり農園の柳です。本日は、冷たい雨が降る中、ご来園いただきまして、本当にありがとうございました。皆様、とても温かい素敵な方ばかりですごく楽しいお時間を過ごさせていただくことができました。またのご来園を心よりお待ちしております。(※原文のまま)」
たったこれだけの文章でしたが、恩を売るでもなく、とても心のこもった嬉しい手紙です。
しかも、お店の電話も住所も書いてません。
ということは、商業ベースの礼儀的なお決まりの文章パターンではなく、一語一語、私のために書かれた文章ということが分かります。
驚いたのは、通信された時間です(AM3:44)…。
お店を閉めご自宅に戻ってから書かれたのでしょう。
いくら夜遅くなる商売だとしても、普通ならば、疲れ果ててバタンキューの時間です。
さもすれば気が付かない、すぐに忘れてしまう、そして、通り過ぎてしまいがちな小さな出来事でしたが、少なくとも私は『小さな幸せ』を頂くことができました。
幸せに生きる方法は、毎日生きていく中でその小さな幸せを、より多く見つけること(※27参照)。
メールをもらった日の当日のセミナー(全国委員会会議)では、開口一番にこのことを話しました。
タイトルは、『気配りと心配り』です。
気配りは字の通り、「気配を察して率なくこなすこと」であり、心配りは「身内のように心配すること」のように思います。
また気配りは、年賀状やお歳暮などの礼儀やビジネスマナーが形として重視されると思いますが、心配りはそれを超えた心と心の触れ合いにあるように思います。
相手の心配りがまるで共鳴するように自分の心に響き、お互いが暖かく、優しい気分になれる…
そして優しい心を配れば配るほど、優しい気持ちはどんどん増幅し、こうやって皆さんにお伝えすることでまた優しさの波動が皆さんに伝わる。
“心を伝える”ことは、相互扶助システムの本質です。
本当のサービスとは?…を経営者の一人として考えさせられました。


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