発展のためのアドバイス集《32》

「病気」は自分が作ったもの

前回の《31》で、「病気の原因は短絡的に決められない」と述べました。
と言いますのは、手術などで悪い所だけ切り取ってもすぐに再発したり転移したりするのは、明らかにそこに原因がないからです。
また、悪い箇所だけやっつけようと薬を投与したり強い放射線を浴びせると、良い細胞までがその影響を受けてしまい、むしろ逆効果となるケースも多いようです。
ひどい試薬検査になると、患部を一部だけ切り取り、薬品に浸け、その患部がどう変化するかを判断して「効くか効かないか」を判断しているところもあります。
これらは全て他の細胞への影響や本来の機能を考えていない原始的な手法です。
しかしこれらは、原因が解明できないが故の《止むを得ない対症療法》だから、現代ではしょうがないことだと思われます。
もちろん切り傷やヤケド、細菌の進入など、その経路や原因がはっきりしているものならば、対症療法で正しく対処もできるかと思いますが、内科的なものとなるとそのほとんどは、自己免疫力を高めるための補佐的役割でしか対応できないのが医学の現状です。
病気は自分が作ったもの…。
ならば原因は必ず自分の中にあります。
では自分のどこに原因があったのでしょう。


「病気」の原因を敢えて言うならば…

外傷や感染などの外的要因や遺伝的、もしくは老化によるもの以外で、『人はなぜ病気になるのか』を考えてみましょう。
一般的には大きく分けて次の二つが言われています。

  1. 生活習慣による原因
  2. 心による原因

最初の「生活習慣による原因」に付いて一般的に挙げられているのは、過労、喫煙、常習的な飲酒、偏食と過食、不規則な生活、運動不足などによるもので、ガン、脳卒中、動脈硬化、糖尿、高血圧、肥満、胆石、痛風、潰瘍、歯周病、高脂血症、骨粗鬆症などの原因だと言われています。
つまり、現在の生活習慣や常習性(癖)を改めることによって改善する可能性の高い病気のことです。
「心による原因」は、過剰なストレスによる心因的負担、性格や気質によるものが原因だと言われています。
つまり、物事の考え方を改めることによって改善する可能性の高い病気のことです。
しかし、「生活習慣による原因」に付いては様々なデータや資料はありますが、「心による原因」の場合には、ほとんど資料もそれが直接的原因と言われる内科的症例も根拠もほとんどありません。
またストレスを「生活習慣」に入れる場合もありますが、人によって同じ環境であってもストレスと感じない人がいることから、どちらかと言えば「心による原因」の中に入れました。


病気になる人との境目は?

“病気は気の病”と書くように、実は生活習慣病も「心による原因」だと私は思っています。
つまり、病気になるような生活習慣になってしまったのは、自分の性格や気質や癖に起因しているため、物事の考え方や捉え方を変えることで治ってしまう例が多いからです。
「生活習慣を改めよう…」と決心し、実行するのは誰でしょう。
誰でもない、自分自身の意思(心)です。
自分自身が強い意思で決心しないと、すぐに挫折したり、または他人から強制されてしまうと更に良くない結果が現れる場合が多いからです。
しかも、病気の原因と言われているものは、一概にそれらが原因だとも言い切れないものもあります。
喫煙していてもガンにならない人は多いし、不規則な生活をしていても元気な人は元気だからです。
では、「病気になる人」と「病気にならない人」との“境目”は一体どこにあるのでしょうか。
ある興味深い本があります。
生命科学に詳しい東嶋和子女史の書かれた「死因事典」によると、『一つの病気が死に繋がる最も恐ろしいことは、人々がその病気に罹ったと気づいた時に起きる《絶望の気持ち》であった。というのも、彼らは直ちに完全な絶望感に打ちひしがれて、病気に対する抵抗力をまったく失ってしまったからである。特にガン、肝硬変、潰瘍性大腸炎、慢性関節リウマチなどの病気は、痛切な悲嘆や死別に見舞われた時に発病したり悪化することが知られている。ところが、家族や友人などの社会的な絆がある人は、そうでない人に比べて圧倒的に死亡率が低い』…と述べています。
またこんな話もあります。
米国のカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部の研究では、「白血球による遺伝子研究による統計で、《孤独感》を持っている人は免疫力の低下によって早死にする」との発表をしました。
つまり、絶望感を持ったり、社会的な絆がなく、孤独感を持っている人、精神的な支えがない人は、病気になりやすいということなのかも。
だとすれば、誰が絶望を感じたり、孤独感を持ったりするのでしょう。
これも、自分自身の心です。
つまり、この反対のことをすれば病気には罹らない、または死に至るほどの大病はしないということになります。


孤独の反対は?

絶望の反対は《希望》であることは皆さん知っているかと思いますが、では「孤独」の反対は?
辞書にも載っていません。
でも、歌手の宇多田ヒカルさんのブログでは、『それは無知である』と掲載されていたそうです。
その意味を私なりに解釈すると、「孤独になることよって自分の内面を深く探る機会が与えられ、その気づきは叡智に繋がる」…とすれば、確かに孤独の反対語は無知になるでしょう。
けれども私は、孤独と無知は同意語にも思えるのです。
『本当は周りに人が一杯いるのに、それに気づかず自分で心を閉ざしているだけ』…。
いずれの意味にしても、自分自身の心が孤独であるかどうかを自分で決めています。
つまり最初に述べた「病気の原因」をいろいろ探ってみると、その根本的に見えてくるのは、物事の考え方、感情の状態、気づくか気づかないか…といった、自分自身の“心のありかた”に全て辿り着いてしまうと思えるのです。


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